健康,  実生活,  心理・思考

何でも情報を得ることが良いことではない。

いろいろな方法で情報を得ることができるこの世の中。TVやパソコン、スマホ、人からの情報。

特に都会にいると知ろうとしなくてもどこかから、誰かから話が聞こえてきたり、電車で隣にいる人の話し声、電話で話している内容。また騒音や物音も情報のひとつ。

確かに情報を持ってることで話のネタになったり、コミュニケーションにも繋がるので良いことでもあるし、僕も「今日のできごとや経済情報、芸能・エンタメ情報を見て知っておこう!」ということは日常的にあった。

だが、それが当たり前になると、自分の価値観、直感や感性が薄れるのではないか?

何もないことも情報

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「えっ?!」って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、メディアや人との話だけが情報ではない。

例えば、自分で自分のカラダの一部をつねったら痛いですよね。これって、誰かが何かしたりしたわけではなくとも、「痛い」というのが「脳」に刺激として入るわけです。

もう一つ例を出すと、「ボーッ」としていて、ふと何かいいアイデアが浮かんだりすることってありませんか?これは自分の中にある思いだったり、普段は感じていなかったり(感じれなかったり)、本当の自分に蓋をしていたのが出てくる瞬間だったりします。

なので、こういうことは得ようと思って得た情報ではなく、

自分自身の内側から沸き起こってくるもの=情報

自然の中にあるヒント

僕もたまに「疲れたなー」とか「頭の中がスッキリしないなー」とかいうときがあるので、そんなときは都会の街中から離れて自然があるところに行く。

そして、ひたすら「ボーっ」とする

そうしていると、今まで考えていたことや不安な気持ち、悩みなどが払拭されてクリアな気持ちになる。毎回思うのですが、自然に触れると自分に戻れるというかニュートラルな状態に戻れる感覚。これってすごく大事なこと。

そうすると、不思議といい考えやアイデアがインスピレーションによって浮かんできたりするもんなんですよね。

少し余談ですが、直感とインスピレーションって似てるように思いますが、

「直感」=過去の記憶からの情報。

「インスピレーション」=聖なる神からの情報(お届け物)

みたいです。

いろんなことを必要なことは知っておく必要はあると思いますが、溜め込むだけでは意味ないですからね。(※学者とかなら話は別かもしれませんが…w)

それよりも自分の内側にあるものを信じて日々行動して、嫌なストレスを作らないようにすることをしていきたいものですね。

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