KOSAKUについて,  実生活

なるべくしてなっている

最近よく思うことがあって、今自分がやっていることや周りで関わっている人って、何となくかもしれないけど、それって起こるべきして起こっているし、なるべくしてそうなっているんだろうなと思うのです。

以前までは何か自分に不都合なことや嫌なことがあると「なんで俺がこんな目に合わないといけないんだ!」とか「絶対相手が悪いに決まってる!」なんて思ったこともありますが、そんなこともないんだなとようやく思えるようになってきました。

相手あっての自分

例えば、極端ですけど、世界に自分一人しかいなかったらどうでしょう?

良いも悪いもそんなことも考えもしないはずです。

なぜか・・・

比較対象がないから。

自分と自分以外の何かと比較した瞬間に良し悪しの判断をしがちなのが僕たち人間の弱い所なのかもしれません。

他人を下げて、自分を上げる。たまにこんな人も見かけますが他人を下げるといことは、自分を下げているのと同じことなんですよね。

縁ある人としか関係性を築けない

過去に関わってきた人、現在関わっている人、ほとんど変わらない人もいれば、過去と現在では関わっている人は全然違う!って方もいらっしゃるかと思いますが、いずれにせよ自分と何かしら縁のある方なんだろうなと思います。

縁ある人同じ価値感や考えを持っている人、育った環境が似ている人のことを言うと思います。

同じ人間でも「この人とはどうやっても噛み合わないなぁ」とか「どう関わっても心の距離が近くならないなぁ」とかいう人っていませんでしたか?

別に自分がおかしいとか、相手がおかしい、間違っているとかではなく、単純に「この人とは縁がないんだな」と思うんです。

だから、変に考えることもなければ、「自分が相手に合わせれてないんだな」とか「もっと同調したりリフレーミングをとってみよう」とか思う必要以上に考えることはいらないです。

相手は思っている以上にそのことに対して思ってないと思います(笑)

そして未来…

未来は誰も良そうできないというのが事実だと思いますが、これだけは言えることは、「現在の自分の在り方が未来の自分を創り、そして周りの関わる人や環境も創っていく」ということ。

常に自分に厳しく向き合え!という話ではなく、どのような人間になりたいか?どんな人と関わって人生を送っていきたいかは自分で決められるということです。

現在が良くない状況、環境ならそれは自分が創り出したもの。

逆に言えば、良くするのも自分次第だということじゃないですか。

一緒に良い人生を歩んでいきましょう👍

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